ロード 新商品!新型 デスティニー オブ TTライダー DVD版 2194円 ロード / デスティニー・オブ・TTライダー DVD版 DVD 外国映画 ドキュメンタリー ロード,デスティニー・オブ・TTライダー,2194円,/,DVD版,www.koepota.jp,DVD , 外国映画 , ドキュメンタリー,/hearer584676.html 2194円 ロード / デスティニー・オブ・TTライダー DVD版 DVD 外国映画 ドキュメンタリー ロード 新商品!新型 デスティニー オブ TTライダー DVD版 ロード,デスティニー・オブ・TTライダー,2194円,/,DVD版,www.koepota.jp,DVD , 外国映画 , ドキュメンタリー,/hearer584676.html

ロード 超人気 新商品 新型 デスティニー オブ TTライダー DVD版

ロード / デスティニー・オブ・TTライダー DVD版

2194円

ロード / デスティニー・オブ・TTライダー DVD版

商品の説明

内容紹介

愛すべきロードレースにすべてを捧げる2組の兄弟の物語
走り続ける男たち。彼らを突き動かすものとは?

ロードレースはすべて公道から始まった。1949年に行われた初のロードレース世界選手権の舞台に名を連ねたのが“マン島TTレース"であり、“アルスターグランプリ"であった。
閉鎖された公道を時速320キロという脅威のスピードで駆け抜ける。その驚愕のロードレースは、挑むものに高い能力と並外れた勇気を求め、ファンは熱狂した。
アイルランド、そしてマン島で歴史は受け継がれ、熱きライダー達の血脈が途切れることはなかった。その歴史に深く名前を刻み続けるのがダンロップ一家だ。
マン島TTの伝説のライダー、ジョイ・ダンロップ。兄ジョイに憧れてライダーになり、レース中の事故による再起不能から甦ったヒーロー、ロバート・ダンロップ。そしてロバートの2人の息子、ウィリアムとマイケル。
北アイルランドで生まれ育った2世代に渡る2つの兄弟は、愛すべきロードレースにすべてを捧げ、宿命の道を突き進んでいく。
このドキュメンタリー映画「ロード」は、想像を超えるロードレースの世界で生きる彼らのドラマチックな人生を追った、栄光と悲劇の物語である。
同じく北アイルランド出身のハリウッドスター、リーアム・ニーソンがナレーションを担当。
これまで見たことのないようなレースでのスペクタクルなアクションシーンがフィーチャーされている。

DVD amp; ブルーレイには、映画本編に加え、
● 写真ギャラリー(全76枚)
● ウィリアムとマイケルの素顔が垣間見れる未公開シーン(21分)
● そして大迫力の公道レース車載映像集(20分)
を追加。


★☆★ お薦めコメント ☆★☆

「これだけの映画を見た経験は、ほとんどない・・・」

その獣のような挑戦意欲はどこから湧くのか。
作品に派手なハリウッド的エンターテイメントはない。
淡々と事実を重ねていく。それゆえ、観賞後も、ずっと心に残る。
これだけの映画を見た経験は、ほとんどない。
ジョイ・ダンロップは、私と同い年だ。
私がバイクの世界に50年近く身を置くから感じる重さなのか。
いや、若いバイク乗りにも通じると思う。
なぜなら今も男達は公道レースを走り続けているのだから。

モーターサイクル・ジャーナリスト 辻 司


「人生そのもの、生き様を垣間見させてくれる映画だ。」

彼らはなぜ走るのか、何がそうさせるのか・・・
作品の中に出てくる「家業」という言葉がその答えなのか。
あるいは彼らの「血」に埋め込まれたDNAがそうさせるのだろうか。
ROADは勝ち負けに一喜一憂する単なるバイク映画ではない。
公道レースという最もリスクの高い2輪レースを通して、
彼らの人生そのもの、生き様をかいま見せてくれるノンフィクション・ヒューマン・ドキュメンタリーだ。

モーターサイクル・コメンテーター みし奈 昌俊


「ボクたちライダーがなぜオートバイに乗り続けるのか・・・」

映画「ROAD」。これは全てのバイク乗りに観てほしい映画だ。
「マン島TTレース」というオートバイレース発祥の地で伝説となったダンロップ家のストーリーである。
日本の多くのライダーにとっては馴染みがあまりないロードレースかもしれないけど、
公道を舞台にしたこのレースはMotoGPなどと違い極めて危険で常に死と隣り合わせの緊張感が伴う。
この映画はボクたちライダーがなぜオートバイに乗り続けるのか、なぜこんなにもボクたちを魅了し続けるのか、
ということにひとつの答えを与えてくれる。
究極のレースに挑んだダンロップ家の悲劇と栄光。リターンライダーにはもちろん、若いライダーたちにも1970年代のファッションとともに観ていただきたい作品だ。

バイクキュレーションマガジン『ロレンス』編集長 二上 善則


内容(「キネマ旬報社」データベースより)

“最も危険なスポーツ"と言われるモーターサイクルのロードレースにすべてを捧げる2組の兄弟を追ったドキュメンタリー。閉鎖された公道を時速320キロで走り抜けるロードレース。その過酷な世界で生きるダンロップ一家の栄光と悲劇の人生を綴る。

ロード / デスティニー・オブ・TTライダー DVD版

まず、モータースポーツを題材としたドキュメンタリーとして、ここまで心を揺さぶられた作品は今までありませんでした。それはもしかすると単に歳をとってしまったせいかもしれませんが。誰もが知るダンロップ。でもそれは通常我々にとっては「有名なタイヤ屋さん」という認識が一般的でしょう。有名な企業の一家がレースに興じている。「お金持ちの道楽」のようなイメージ。しかし、その印象は視聴をはじめてすぐに払拭され、この一家が生業としているものが本来レースなのだということがわかります。淡々と語られるアナウンスと、実際の当時の映像はそれこそ他の作品とそう大きく違わないかもしれません。しかし、兄と弟、親から子と登場人物のレースにかける想いというのは並外れたものではなく、圧倒的な才能、転落から復活、哀悼の奇跡ととにかく現実がドラマチックすぎているので余計な演出が必要ないというのがすごいところ。きっとバイクに興味がない方でも楽しめると思います。
バイク好きでない私が見た感想は別にレースでなくとも大きなリワードを求めれば大きなリスクが伴うということ。モータースポーツの世界でのリスクは後遺症の残る重症や無残な激突死であり、たとえ無傷であっても裕福な出自でも無ければ金銭的に苦しむことになる。物理的なレースをしていない人達も社会の中で競争に臨む者達は精神をやられたり過労死するリスクがある。何でも頂点に立つのは険しい道だけどそれだけのリワードがあるのも事実。でも殆どの人はそこまでのリスクは負わずまた負う気概も無いので他人のお零れのようなリワードで細々と生きている。身近な人が死傷すれば感傷的になるのは理解できるが誰も彼らを鎖に縛ってこの競技を強制した訳ではないだけに女々しく感じた。彼らはそのリスクを重々承知の上で挑み続けたはずなので同情出来ない。同情できるとすればそれは古代ローマの剣闘士のような強制的にその生命を市民の慰め物として扱われた人達だけだ。ここに登場する人物達は日頃レーサー気取りで爆音まき散らして公道走るバイカー達を生み出している事実、他の大勢の人達がそれを不快に感じている事など気にも留めていないのだろう。
死のリスクを冒してまで、何かを成し遂げようとする人々の決定的な役割を果たすのはドーパミンだ。エベレスト登山も同じで限界に挑む人たちもドーパミン依存症だ。アドレナリン中毒と混同されるけど、TTライダーは興奮はしない冷静沈着、なぜなら興奮=死だからだ。ドーパミンが出るのは、没頭できる嗜好や趣味、代表的なのはゲーム、我々も同じドーパミンが出てるんだ、バトルゲームに、淡々とゲームをしている自分に気付くはず、冷静沈着なTTライダーと同じなのだ。もう、レースはやめよう思うのに、TTレースはドーパミンがスイッチオンになり依存が起こってしまう。今まで運が良かったのは理解していても、死ななきゃ治らないのがドーパミン依存症なんだ。だから、彼らはTTレースを最期まで楽しんでたんだ…。.
北アイルランドのロードレース界でその名を知らぬ者は無い、ダンロップ家。中でも貧しさの中から頭角を現したレジェンド級のジョイ&ロバートの兄弟、その息子たちウィリアム&マイケル兄弟の2世代に渡る悲劇と栄光のドキュメンタリーです。ライダー目線のレースシーンは、バイクレースに不慣れな方がご覧になったら勘違いされるかもしれませんが、これは映像効果を狙った早送りではありません。まるで正気の沙汰とは思えないその世界を束の間垣間見るような映像です。有名なマン島TTをはじめ一般公道を走るロードレースはサーキットレースより遥かに危険で、これまでも多くの死者を出しています。それでも「ロードレースは家業」と、生き急ぐように命を削って走り続けるその姿に対しては、否定的なものも含め様々な見方が有るだろうなと思いながらも、観ていて何か厳粛な気持ちになりました。映画冒頭でミラン・クンデラ『緩やかさ』の一節が引用され、"忘我"というワードで彼らの心理状態が示されます。機械の発達で手に入れた、危険を伴う速さへの対応に集中することで"恐るべき未来"から解放されるのだと。恐怖を以って別の恐怖を制するということでしょうか。そこまでして彼らは何を忘れたいのか、或いは兵士が戦場に戻りたがるのと同様の依存症的なものがあるのか。足を踏み入れたことのない者が軽々に語ることは憚られるので、只々見て感じるばかりです。本作の後ウィリアムも事故で亡くなり、今やダンロップ家のレーサーはジョイの息子ゲイリーとロバートの息子マイケル、ジムの息子サムだけです。いつか父親たちが見ることのなかった景色を見られるよう願わずにいられません。

2021.01.01

明けましておめでとうございます♪

皆さま、明けましておめでとうございます♪

今年も「歳旦三つ物」を詠みました。


歳旦三つ物

丑紅をくつきり引くや初鏡
小松菜およぐ東京雑煮
揚ひばり空に平和を描くらん

きっこ


俳句では本来、自分の句を自分で解説することは野暮なのでNGなのですが、俳句を勉強していないと意味の分からない言葉や言い回しもありますので、今年も簡単に説明させていただきます。

まず、最初の五七五の発句の「丑紅(うしべに)」は、寒中の丑の日に売り出される口紅のことです。江戸時代、寒中は水に不純物が少ないため、この時期に作られた口紅は「寒紅(かんべに)」と呼ばれ、唇や口中の荒れを防ぐ薬効もあるとして重宝されました。中でも丑の日に売り出される「寒中丑紅」は、買った人には小さな牛の置物がプレゼントされていました。この牛の置物は、手で撫でると「健康で美しくなる」、赤い座布団にのせて神棚に飾ると「その一年、着物に不自由しない」という御利益があったため、江戸の女性たちは、こぞって丑紅を買いに走ったのです。

あたしは、この江戸の風習にならって、今でも寒中には丑の日に口紅を買うことにしています。現代の街のコスメショップで口紅を買っても牛の置物は貰えませんが、気分だけでもずいぶんと違うのです。この「丑紅」は冬の季語ですが、年が明けて初めてドレッサーを使う「初鏡(はつかがみ)」という新年の季語と重ねることで、こちらが主季語となり、お元日の句となるのです。


二番目の七七の「脇」の句は、東京の「お雑煮」を詠みました。お正月のお雑煮は「東は角餅、西は丸餅」「東は醤油仕立て、西は白味噌仕立て」などと言われていますが、例外も数多くありますし、それぞれの地方によって特色があります。お正月の食べ物ということで、たいていはいろいろな具材が入った見た目にも豪華なお椀ですが、東京だけは違います。あたしが子どもの頃から食べて来た東京の伝統的なお雑煮は、具材が小松菜だけなのです。

鰹出汁の醤油仕立てで、具材は食べやすい大きさにカットした小松菜が浮かんでいるだけ。そこに焼いた角餅をジュッと入れたら完成です。場合によっては、彩りとして銀杏(いちょう)に切った人参を加えたり、香りとして柚子の皮を浮かべたりしますが、基本は小松菜だけのシンプルなもので、全国各地のゴージャスなお雑煮とは一線を画しています。

江戸には、幕府による「贅沢禁止令」の影響もあり、着物の裏地など「見えないところに金を掛けるのが粋」という風俗があり、それが裏返って「見えるところに金を掛けるのは野暮」という風潮が生まれました。このシンプル過ぎるお雑煮も、そんな江戸の風俗から生まれたのだと思います。あたしの父さんは五代東京、母さんんは三代東京なので、父さんも母さんも子どもの頃から小松菜だけのお雑煮を食べて来ました。そして、子どものあたしも同じものを食べて来たのです。


最後の五七五の「第三」は、発句と脇から大きく飛躍した春の句です。発句と脇が「新年のおめでたい景」を詠むのに対して、第三は「春の希望」を詠む決まりです。昨年は「新型コロナ一色」の一年でしたし、政府の後手後手の対応によって、収束どころか感染が拡大し続ける中で新年を迎えることになってしまいました。アメリカの研究機関は、昨年夏の時点で「完全に収束するまでに少なくとも二、三年」との予測を発表していますので、あたしは、今年は昨年以上に厳しい一年になると覚悟しています。

しかし、年頭の「歳旦三つ物」くらいは「希望」を詠みたいので、春の野から高く飛び立ち、空から歌声を聞かせてくれる雲雀(ひばり)を意味する「揚雲雀(あげひばり)」という季語を用いました。そして「ひばり」を仮名にして、その後に「空」という漢字を続けることで、美空ひばりさんがイメージされるように詠みました。

あたしのおばあちゃんは、夫を戦争に取られ、生まれたばかりの母さんを抱いて東京大空襲の中を逃げ回りました。当時、八歳だった美空ひばりさんは、お父さまを戦争に取られ、残されたお母さまがひばりさんと幼い兄弟四人を連れて、横浜大空襲の中を逃げ回ったといいます。そんなひばりさんは、昭和四十九年(1974年)八月九日に開催された「第一回広島平和音楽祭」で、平和を願う名曲『一本の鉛筆』を初披露しました。


一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば 戦争はいやと書く 
一枚のザラ紙があれば 子どもがほしいと書く 
一枚のザラ紙があれば あなたを返してと私は書く 
一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く 
一本の鉛筆があれば 人間の命と書く


この日、早くから会場入りしていたひばりさんは、冷房のない広島体育館の用具置き場のような狭い場所でスタンバイしていました。あまりの暑さに広島テレビのディレクターが気を使って「ここは暑いですから冷房がある別棟でお待ちください」と声を掛けると、ひばりさんは遠くを見るような目で「あの時、広島の人たちは、もっと熱かったのでしょうね‥‥」とつぶやいたそうです。

松山善三作詞、佐藤勝作曲の『一本の鉛筆』は、会場の広島体育館に詰めかけた多くの人々の涙を誘ったと言います。そして、二カ月後にリリースされたシングルレコードのB面には、同じ作詞家、作曲家による『8月5日の夜だった』が収められました。こちらの歌は、原爆投下前夜の八月五日に、翌朝すべてが焼かれてしまうことなど知らずに、広島の橋のたもとで愛する彼氏との幸せな将来を夢見ている若い女性を描いています。


さて、「戦争」と「パンデミック」は違いますが、今回の新型コロナの国別、地域別の対策と状況を比較してみると、こと対策においては「パンデミック」にも「戦争」と同じく人災の一面があることが分かります。あたしが最も危惧しているのが、昨年10月からの「自殺者の急増」です。日本の自殺者は、昨年10月には前年同月比で40%増、若い女性だけを見ると80%以上も増加してしまいました。この多くは、新型コロナによって仕事を失い、生活が困窮し、誰にも相談できずに自死の道を選んでしまった人たちと見られており、新聞各紙も「コロナ自殺」と報じました。

新型コロナの感染の抑制や重症者の治療などは、有効なワクチンの普及や特効薬の開発を待つしかありません。一方、増加し続ける「コロナ自殺」などの間接的な犠牲者については、政治の力で救うことができます。政府が正しい支援を行うことで、確実に命を救うことができるのです。しかし、残念ながら、今も有効な支援策は講じられていません。この一年、政府が次々と講じて来た数々の対策は、どれも国民目線とは大きく乖離したものばかりで、唯一、生活困窮者の役に立ったのは、野党が強く要求した特別給付金の十万円だけでした。

政府は新型コロナ対策に莫大な予算を割いているのに、支援が必要な国民のもとにはほとんど届いていない現状。何故、このようなことになってしまったのでしょうか? それは、政権与党の議員たちに国民目線が欠落しているからです。他人の痛みを自分の痛みとして感じる思いやりの心が欠如しているからです。今の政府には、美空ひばりさんが真夏の体育館の用具置き場で言った「あの時、広島の人たちは、もっと熱かったのでしょうね‥‥」という言葉、この気持ちが決定的に足りないのです。

こうした現状を踏まえて詠んだのが、最後の五七五の「第三」の句です。春の野から空高く飛び立った揚雲雀の歌声を聞き、この国の為政者ひとりひとりが政治を志した初心に立ち返ってくれることを望みます。そして「富裕層から多く取り貧困層を手厚く支援する」という本来の「正しい税金の再分配」を行なってくれることを望みます。何故なら、まだまだ続くであろう新型コロナ禍においては、それこそが政治にできる最大の人命救済だからです。


‥‥そんなわけで、あたしは、今年も今まで通りに、社会的弱者、社会的マイノリティーの立場と視点を大切にして、あたしなりに「ハチドリの一雫」を垂らし続けて行く所存です。今は『きっこのブログ』は開店休業中で、『きっこのメルマガ』での発信しか行なっていませんが、皆さん、今年も一年、よろしくお願いいたします♪


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